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~うに家~Drop at our house if you happen to come this way.

3.11に思う

あの日のあの地震津波で命を失った方のご冥福を心よりお祈りします。

失ったものの大きさから、いまでも辛い気持ちを抱えたままの方も多いと思います。幸せを感じる瞬間がほんの少しづつでも増えていきますように。

 

 

あの日、まさかあんなとんでもない事になっているとは、札幌からは想像できませんでした。

あの日は会社にいて、いつもの、ありきたりの日常でした。

地震国日本とはいえ、札幌は地震が少ないです。大きな地震はめったにありません。なのであの揺れは、いつもと違う、と瞬間的に感じました。

派遣の女性(*1)が悲鳴に近い声で「怖い」を連発し、「逃げよう」と何度も言ってましたが、誰も机から動こうとせず、ひきつった笑顔で平気なふりをしてました。

そんな中、地声の大きい支社長が「大きな地震だなぁ、はっはっは」と笑いながら部屋から何事もないかのようにゆったりと出て行ったので、よけい誰も動けませんでした。そうか、これくらい平気なんだ。支社長はこんな揺れの中、トイレに行ってる、と。

しかーし、支社長は実は一人だけ、外に避難していたのです!

揺れが収まってから、事務所に戻ってきて大声で

「近所の人達も外に出てたぞーはっはっはー」

!!!!!オマエ、一人で逃げてたんかーい?!

あの日は、支社長が男を劇的に下げた日でもありました。

 

その後、テレビで何度もあの映像を見ることになります。

あのとき日本にいた人なら誰でも見た、あの映像です。

恐ろしい量の水が押し寄せてきて、全ての物をさらっていった、何もできず震えてただ呆然と眺めることしかできなかった、あの映像です。

 

あの地震で人生が変わった、と言う人をいっぱい見ました。

ネットで話題になった自給自足を目指す若い女性、夢に再挑戦をした元サラリーマン、問いに対して、「あの震災で考えたんです」と。

戦争もない、宗教的な争いもない、民族間の争いも、他国に比べたら「ない」と言えるほど、目に見える争いのない国、日本。

生死に対する概念が曖昧で、「死」はどこか違う空間、次元に存在してるかのように生活していた私たち。

生きること、死ぬこと、あの津波のおかげで私たちは真剣に考えることができたのです。

 

あの震災があって、私が一番深く理解したことは、「いつ死ぬか分からない」ということです。

 

当たり前のことです。

この命は誰かが保障してくれてるものではないのです。

「90歳まで生きます。それまで病気らしい病気もしません」

そんなワケありません。

 

「その日」は30年後かもしれませんし、明後日かもしれません。

もしかしたら今から30分後にシャワーあびてて石鹸で足を滑らせて、浴槽のへりに頭をぶつけてそのまま、、、という事だってあるかもしれません。

 

だから

 

やりたいことをやりましょう。

本当に好きなことをしましょう。

言いたいことを言いましょう。

ムリだと思ってあきらめていたことを、始めましょう。

いつかやろうと思っていることは、今やりましょう。

好きな人に「好き」と言いましょう。

大切な人に「ありがとう」と言いましょう。

嫌いな人は無視しましょう。

大丈夫、むこうだってあなたのことが嫌いです。

私たち凡人のキャパなんてたかがしれてます。本当に大切な好きな人と物だけに、心と時間を使いましょう。

 

私は3.11の後に、↑こうしよう、と決めたんですよね。

でも、ついつい忘れてしまいます。

平凡な毎日に流されて、生かされていることの幸運に感謝することを忘れてしまいがちです。

 

こうして、3月11日がくるたびに、自分の人生をないがしろにしないように、気をひきしめさせてもらってます。

 

 

あなたが虚しく過ごした今日という日は、きのう死んでいったものが、あれほど生きたいと願った明日』

趙 昌仁

 

 

では。

 

*1:「電話にかかっております」菌を広めた派遣女性

 

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