Uni-ya

~うに家~Drop at our house if you happen to come this way.

許可局

 

「はい。こちら許可局です」

 
 
思いきって電話してみたら、あっさりワンコールで繋がってしまって、心臓がはねあがった。
次の一言の用意ができていない。
 
 
「もしもし。許可局です」
 
 
機械に聞こえるくらいキビキビとした高音の女性の声がたずねてくる。
 
 
「どういったご用件でしょうか?」
 
 
 
「…あのぅ…、、、許可局さん、ですか?」
 
2回も許可局です、と言われたのに、時間をかせぎたくて分かりきったことを聞いてしまった。
 
 
「はい。そうです」
 
だよね、そうだよね。
あぁ、どうしよう。勇気をだして覚悟を決めて電話したはずなのに、声がでてこない。
頭が真っ白になるってこういうことなんだな。
いたずら電話だと思われて切られる前に、ちゃんと言わなきゃ、
 
 
「もしもし?」
 
 
有能そうな高音の声にいらだちの響きはまったく無い。安心した。ホッとした呼気と一緒にまろびでるように声がでた。
 
 
「許可を、許可をいただきたいんです。わたし、幸せになる許可が欲しいんです!もらえますか?」
 
 
言えた!
オモチャを欲しがる子供がだす叫び声みたいな声だったけど、言えた!
 
 
「勿論です。こちらは許可局ですので。お申し出さえあれば、何に対しても許可を出しております」
 
高音はキビキビしている。私の裏返った声にも反応しない。
 
 
 
 
許可局というものがあるのだ、と聞いたのは先月のことだった。
ふらりと入ったカフェでぼんやりと紅茶をすすっていたら、隣の席でお喋りに興じていた老婦人の一言が急に耳に飛び込んできた
「許可局に電話したのよ」
それまでまったく隣の席の話を聞いていなかったのだけど、何故かその話題の先は聞かねばならない、そんな気がして耳をすませた。
「迷っていたのだけれどもね、思いきってね電話したの」
「夫の十三回忌も無事に終わったし」
「孫の結婚式も見れたしね」
「だからもう死んでもいい、っていう許可をもらったの」
 
いったい何の話だろう?
背中がざわざわしてくる。
 
「許可証も届いたし、これで安心よ」
「いつお迎えが来ても慌てないわ」
「自分で決められるって、やっぱりいいわね」
「自分で決めるってこと、決めないと人生が動かないってこと、知らない若い人が増えてるらしいわね」
 
私は気がつくと老婦人にコースターとペンをさしだしていた。
「電話番号を教えてください」
 
 
 
 
 
「では、まずお名前からうかがいます」
 
「あ、名前とか必要なんですか」
 
「当然です。許可ですからね。どこの誰か分からなければ許可のしようがありません」
 
 
「あ~、えっと、うにです」
 
「うに様、ですね。ご住所は?」
 
「北海道札幌市一丁目です」
 
「今回は幸せに対する許可で間違いないですね」
 
「はい。わたし、幸せになりたいんです」
 
「勿論なれますとも。許可証は後日郵送になりますが、許可は今日この時点より有効です」
 
「じゃあ、じゃあ、私は幸せになってもいいんですね?後ろめたいことないんですね?」
 
「大丈夫です。想像したこともないくらいの幸せになっても誰も咎めません。
といっても、今までもそうだったように、幸せになることに躊躇することがあるかもしれません。
違う世界に行くことに対する不安がでてくるかもしれません。
なのでそういったことへの対応策として、許可証を壁に貼ることを皆さんにお奨めしています」
 
「いつも目につくように、ですね」
 
「そうです。最近の申請者の方は、なんですか、スキャナー?ですか?で取りこんで、パソコンのデスクトップにする方もいらっしゃいます」
 
「やってみます。ありがとうございます」
 
「では、失礼します」
 
 
機械的な高音は最後まで機会的だった。
 
 
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物事がすべて終わってから、後ろを振り返る。
あぁ、あのとき、ああしていれば、とか、あのとき、もっとこうすれば良かった、とか、こういう言い方をするべきだった、とか。
そういうことを、私は、たびたびやってしまう。
そうしていて気づいたことがある。
私はどうやら「幸せになる」ことに、うっすらと恐怖感があるようなのだ。
もちろんその場では気づかない、後になって、冷静になって振り返ってみてようやく「おや?」と思う。
 
まぁ幸せかな、といった毎日を過ごしていて、或る日、もっと上の、空想上の物語のような幸福に遭遇すると、チラリとその片鱗が見えてくると、興奮する、気分が盛り上がる、あぁ、あれが欲しい!手にいれたい!あそこに一瞬見えた、素晴らしくきれいな光輝く宝が欲しい。
しかし、そう思っているのに、実際の行動はどうかというと、尻込みしている。
心の中では「欲しい」と叫びながら、でも手は背中にまわして、後ずさりしていく。
 
欲しい、欲しい、欲しい、
涙さえにじんでいるくらい、
とても欲しい、
でも、それを声にだして言えない。
言えなくても、手を伸ばせばいいのに、それすらできない。
 
そんなことを繰り返し、ほとほとそんな自分がイヤになって、よくよく自分の中をのぞいてみたら、どうやら不安らしい、と分かってきた。
幸せになるのが、怖い、ようなのだ。
新しい光に包まれる権利はないと思っているようなのだ。
だから、遠くから眺めて、いじいじしている。
 
ワケわかんない。
 
もう、いいのに。
欲しいなら、行きたいなら、そうすればいいのに。
自分にオッケーだしていいのに。
 
誰もダメだって言ってないのに、自分で自分にダメ出しするのは、もう止め。
 
 
すべての事は、自分がオッケーって言いさえすれば、それでいいのだ。
 許可を出すのは、自分。
 
 と、思って書きました。
 
 
 
では~