私の勤務先は東京に本社があり、北海道から九州まで支社がある。
世間一般の会社同様、男性達の出世スゴロクには転勤が欠かせない。
数年前、営業課の課長として関東のある支社から男性が転勤してきた。
背が低く小太りでメガネをかけた彼のことを後輩は「金正日」と陰で呼ぶので、ここではキム氏としよう。
キム氏は、着任するとすぐに皆に親しげに話しかけ、大声で笑い、元いた部署に電話をかけ長話をし、もう長年ここにいるかのようなくつろいだ雰囲気で椅子に座り、「鷹揚で豪快、繊細だけど細かいことは気にしない、話は面白くて頼れる課長」であることをアピールしてきた。
しかし
彼の話す「豪快な俺」伝説と、日々の「支社長の顔色を伺う」行動には著しい差があることに本人はちっとも気づいておらず、なによりも自分は動かないのに、動きのにぶい他の人を大声でこきおろす姿は鷹揚な頼れる課長からはるかに遠かった。
当然の帰結として、キム氏はどんどん疎まれていった。
社内ネットワーク術に長けた後輩が「キムのことはみんな嫌ってますよ」と言い出したのは、着任して1年ほどのことだったと思う。
私は先輩として(人の悪口はダメよ)と言いたげな顔で「そうなの?」とだけ言い、でも心の中で「私もアイツ嫌いなんだよねー」と思っていた。
キム氏の元いた部署の女性に聞く機会があったのだが、理由は分からないが、元の部署でもキム氏はかなり疎まれていたようだ。
さて、そんなはみだしっこキム氏にこの春の異動の辞令がおりた。
島流しと揶揄されることもある北海道勤務から関東近郊勤務へと戻る。
そしたら
転勤が決まるやいなや、彼は演じることをやめた。
(面白くもないのに)大声で笑うことをやめた。
(空元気で)楽しげに話しかけることをやめた。
「豪快な人」のふり
「鷹揚な人」のふり
「楽しい人」のふり
をやめた。
朝からぶすっとしてるときもある。ときどき本当に楽しいときにはハハハと小さく笑ったりする。あいかわらず声は大きいけど、他の人に聞かせるために声を張り上げてるのではないのは分かる。他の人がどうしてるか何を思ってるかきょときょと伺うよりも、引継ぎのこと、自分の目の前のことに集中し始めた。
神経質で、自分に自信がなくて、すぐにテンパる、心配性で寂しがり屋、素の彼をそのまんま出し始めたのだ。
そうしたら
キム氏の周りの空気が穏やかになった。
一緒の空間にいるこちらもストレスがなくなった。
だってキム氏自身に無理がないんだもの、そうなるよね。
キム氏の転勤デビューは失敗に終わった。
キム氏の憧れるタイプの男性にはキム氏はなれなかった。
キム氏は、本来のキム氏に戻った。
たぶん、もともとが人に好かれるタイプの性格ではないだろうから、「みんなに好かれる課長」は次の部署でもその次の部署でもたぶん実現できないだろう。
でも、それでいいんじゃないかな。
「みんなに好かれる人」なんて、そんな人、めったにいないよね。
いい人ぶったって、かっこつけたって、みんなにはバレてる。
頑張って「ふり」をしたって、不自然だからかえって敬遠される。そこを頑張ったって疲れるだけでまったく意味がない。
こんな人になりたい、あんな人になりたい、そう願うことも多いけど、やっぱり
「他の誰かになろうとせず、ひたすら自分でいよう」と思わされた出来事でした。
では