もう、何年も前のことだけどTVでブータンの特集をしているのを見た。
ブータンといえば、「幸福度の国」として、ひところかなりもてはやされた。
震災の後、国王も来日されて、国会でのスピーチに感動した人も多いと思う。
そのTV番組では、ブータンをなにがなんでも「幸福の国」にしたかったのかどうかわからないけど、司会の時任三郎がしきりに
「いやぁ、ブータンではストレスに相当する言葉がないなんて驚きですねー」
と言っていた。
ソレを聞いて、おい待て、待て、日本語にだってストレスに相当する言葉はないだろう、と私は思ったのだけど、無い、ですよね?
抑うつ、とか?
イライラ、とか?
ストレスと似てるけど、なにか違う。しっくりこない。
昔の人は、我々が今、「あー、もうストレスいっぱい」と言いたいような状況、例えば、明治の頃のお嫁さんたちは、同居する夫の両親のことをどう表していたのだろう?
これがフツウ、アタリマエ、だと思って特に何か思うことなくやりすごしていたのか。
そもそも「ストレスを感じる」ということを口にだすこと自体が憚られたから、言葉は必要なかったのだろうか。
今、パム・グラウトの『こうして思考は現実になる2』を読んでいる。
それによると
『マレーシアの熱帯雨林に暮している先住民族のセノイ族には、「恐怖」や「不安」といった感情がまったくない』
らしい。
まわりの自然のエネルギーや感情を正確に読み取る能力を持っていて、だから、思考にふりまわされない=つまらない不安に苛まれることなどない、のだという。
残念ながら彼らの熱帯雨林はすべて破壊されてしまったので、今後、彼らの子孫はどうなるのかは分からないのだけど。
同じことが私たちにも起こったのかもしれない。
昔、昔、昔は、マイナスなネガティブな気持ちを表す言葉なんて無かったのかもしれない。
和歌なんて、恋の歌ばっかりだし。
マイナスな感情といったって、せいぜい「会いたいのに会えない、、、しょぼーん」くらいだ。
いや、すみません、高校の古文程度の知識だけで、よくわからないで書いてます。
でも、だいたいそんな感じじゃない?
あれこれ考え過ぎないで、もっとテキトーに生きてもいいんだろうなぁ。古の人たちみたいに。
DMC-GM1
私の住む町では、今、桜がとてもきれいに咲いている。
恐怖とかストレスなんていう言葉とは、無縁の咲きっぷりだ。
ブータン国王の演説
ブータンも日本同様、敬語という概念がある。
そのせいか、心のこもった、とても丁寧な演説だと思う。頭もすごく良いんだろうな。
では~