以前、「認知特性」について書きました。
視覚と聴覚、どちらが得意なのか、
自分の苦手を克服するのも、もちろんアリですが、自分の得意なことを伸ばした方が、無理して無い感じがして、私はそちらの方が良いなぁ、と思ってます。
(自分が好きなことなら、何してもいいんですけどね。好きなことは"苦手"とは言わないですよね?)
以前、誰のエッセイだったか忘れてしまいましたが(林真理子さんの可能性高し)書いてあった話、
その作家さんが、仕事か何かで、画家さんと海にいたそうです。
息を飲むほど素晴らしい、その景色を見ながら画家さんは、
「僕は画家だから、この景色をどうやって描こうか考える。君は作家だからどんな言葉を使おうかって考えるんだろうね」
と言ったそうです(細かいところは完全に忘れてます)
これを読んだとき、妬ましいくらい、羨ましく思ったのを覚えています。
なんて豊かな世界なんだろう。
表現者になるということは、そういうことなのか。
とても印象的だったんですよ。でも記憶力がいかんせん頼りなくてかなりザックリした記憶になっちゃってますね。
美味しい料理を食べたら再現したくなる人、
手に汗にぎる展開のレースを見た後は自分も走りだしたくなる人、
その音ほんの少し大きすぎるんじゃない?
あー、そのネクタイの色はないわー、
自分が"つい"一生懸命になってしまうこと、"ムキ"になってしまうもの、"神経質なくらい"こだわってしまうもの、そこに自分の特性があるのかもしれません。
それは生まれついてのものなのか、育つ過程でそうなるのか、分かりませんけど、どうにも気になることにはこちらからオフェンス気味に攻めていったら、面白いことになりそうです。
↓コチラを読んでて上の「画家と小説家」の話を思い出したので、書いてみました。
林さんの穏やかな語り口は落ち着くなぁ。
文章には人柄が表れる、隠せない、が私の持論ですが、
絵も、そうなのかもしれません。
田辺画伯がここまで人気になったのは、ひとえに彼の描く世界観ゆえでしょう。大好きです。
イラスト|田辺誠一オフィシャルブログ「Hello(ハロー)」 -4ページ目
自分の事は客観視できないので、私の文章が私のどんな部分を明らかにしてるのかは分からず、、、ちょっと残念。
では