この前、フランス映画『エール!』を見てきた。
とても良い映画で、フランスって素敵な国だな、としみじみしてたところで今回の事件。。。
映画では、私からみたら「んな理不尽な!」と思える要求を両親が娘につきつける。
高校生の娘はそれに対し、自分の希望を、思いをこめてはっきりと伝える。
全然関係ない赤の他人の私の方が親の自分勝手な要求にイラとしてしまったけど、要求する行為自体はオーケー、その要求に対してはノー、それが健全なコミュケーションなのだな、と知った。
思ってることは、言わなければ伝わらないのだ。
双方、遠慮しつつ「察して欲しい」合戦をしてるから、コトがめんどくさいことになるのだな、と、今までの自分を振り返ってみて、よく分かった。
「察して欲しい」の対極にあることが、今回起こったわけだけれど、コミュニケーションのあり方、としてみれば、結局は似たようなことなんじゃないのかな、とも思ったり。
わがままなことを言ってもいいのだ。
呆れるような要求をしたっていいのだ。
そして、「ノー」と返しても全然問題ないのだ。
言う自由
断る自由
みんなが「自分の要求を口にすること」と「要求を断ること」両方を許容したら、世の中(日本のことね)はもっと、ずっと、いろんなことがスムーズになるんじゃないかな。
言いたいこと言ったら、それだけでスッキリした、って経験、誰にでもありますよね。
もちろん、今回のパリの事件に関するコトの根はうんっと深くて、そう簡単に解決はしないでしょうけど、あきらめちゃったら、それで終わっちゃうから、、、なんとかしたい、ですよね。。。
箴言16:1~2
人は心に計画を持つ
主はその舌に答えをくださる
人は自分の行いがことごとく純粋だと思う
しかし主は人のたましいの値うちをはかられる
世界中の人が、今日という日に平安をみいだせますように
では