斉藤和義ライブに行ってきた話
え?今さら?
はい。
”初”斉藤和義ライブに行ってまいりました。
えっと、本当に正直に申しますと、斉藤和義さんの事を「ヘタなのかウマイのか」みたいな感じで見てました。
ヘタウマ?
エビスさん的な?
声量がある=ホンモノの歌手
みたいな図式が私の中にありまして、あのノホホンとした感じが、今ひとつ、私に響いてなかったんですよね。
いや、しかし、
本当に申し訳ありません
土下座でも何でもします。
本当に浅はかで愚かで話になんないほどの、マヌケでした、私、
昨日のライブ、本当に本当に感動しました。
なんだったら途中からずっと涙目でしたからね←花粉症ではない
始めから終わりまで、ステージにたった一人、ギター一本(途中ドラム叩いたりもしたけど)
終始、ノホホンとしながらも、圧倒的に場を制圧していました。
制圧って言い方、オカシイですよね、不穏です。
でも他の言い回しが見つからないです。
とにかく会場が一つになって、みんなが斉藤和義の一挙手一投足に注目していて、
斉藤和義が出す 音 が、会場の 気 のようなモノを完全にコントロールしてました。
「もう52歳」
「尿のキレが悪い」
「疲れてきた」
そう言いながらも二時間、最後まで途切れずに 彼の 音 は、私たちを鷲づかみにしていました。完全掌握ですよ。
『飄々としていることは美徳だな』
そう改めて思いました。
「あー、ちょっとそこのコンビニにビール買いに行ってくるわ」的な気安さでギターを弾き、歌う、
だけど、
音と音の間から、積み重ねてきた技術がもれだす、
言葉と言葉の間から、どうしようもなく感受性があふれだす
飄々とした身のこなし、気のない感じのモノ言い、
それにだまされてはいけない
ギターと声だけで空間を圧する、
そこにはものすごい時間を「弾く」という行為に捧げていること、
歌を歌って生きていくという「決意」があること、
そんな事をいちいち喧伝しない美意識が、飄々にはある。
あー、歌をうたっていけないなら、んじゃ、しゃーねーな、、、死ぬかな
歌うたいは、本気でそう思ってるんじゃないか
1年以上ぶりにブログを書きたくなった。
私の感受性を刺激してくれたこと、感謝します。
よろしくお願いします
今日、会社に、某政党の某さんが、「選挙前のお願い」に来た。
私が勤める会社は建設系の会社なので大人のシガラミが多く、選挙のたびに色んなオジサン達がこういう「お願い」に来る。
今までは、しらーーー(-_-)ーーとした思いで、熱くるしく語るオジサンをぼんやり眺めてるだけだったのだけど、今日はなぜだか「この人、スゴイなぁ」とイキナリ思った。
だって
誰も聞いてくれてないかもしれないのに人前に立って話をして
自分どころか家族全員のプライベートさらして
だれかれかまわず頭をさげて
それで生計を立てていたであろう自分の前の仕事はやめて
私には絶対出来ないなぁ、と思った。
そう思うと、拳をふりあげながらツバを飛ばす勢いで大声を張り上げてるオジサンも、「私ができない事をしている」という点で、尊敬だなぁ~と思った。
でも、
そのオジサンの政党には投票はしないけどね。

パニック映画なんか観てると、よく「こっちだ!」と先頭に立って皆を導く人が出てくる。
あぁいう人って、どういう人なんだろう?
もし私がそんな立場に立たされたら、周り全員、小学生だとしても「こっちだ!」とは言えない気がする。
「えっと、こっちじゃないですかね?こっちなような気がするようなしないような...」くらいなら言えるけど、「こっちだ!」って言い切るそんな自信ない。全然ない。
たぶん、政治家になろうとする人は、「こっちだ!」派ですよね?
全国の政治家の皆さん、ご苦労さまです。
選挙カーでの「お願いします」の連呼は控えめにお願いします。
では
自分の感受性くらい
先日、ゴッホ展に行ってきました。
札幌は、まぁまぁ都会だけど、文化的な方面ではやはり全然田舎で、こういった知名度のある人の催しはめったにこないんですよ。
来たら、もう道民総出?な勢いの賑わいになって、そうなると私は「人が多いのは楽しくていいわねぇ」と対岸からは微笑ましく見てるのに、自分が会場に行くとゴッタ返してる人にウンザリして舌打ちの一つ二つするという、イヤなヤツあるあるになります。
いやだって人がわっさわさで肝心の絵が見づらいったらないじゃないですか。
絵画展もコンサート会場みたく段差つけたらどうですかね?後ろの人も見やすくていいと思うんですが、ダメでしょうか?
で、ゴッホです。
私は絵を見るとき、思いっきり画家に同調するよう自分を持っていくんですよね。
どんなに時間が経っても、場所が変わっても、絵にその画家の想いが塗りこまれてる、そう私は思っているので、
できるだけ自分をカラッポにして、絵ではなく、そのときのゴッホさんの意識とコンタクトするように、します。
頭、変ですか?
でもですね、なんとなーくですが、分かるような気がするんです。
言葉というよりも、その画家の感情そのものが私の中にわいてくる、みたいな感じなんです。
どうしてその絵を描いたのか、その絵を描いたときの感情が、その絵を描いた情景が思い浮かぶような、 気が してくるんですよね。

で、その自称イタコ状態でゴッホさんの感情を味わったんですけどね、
ゴッホさん、感受性鋭過ぎ!!!
もう、周囲の全てがゴッホさんにとってはとんでもなく美しくて、美し過ぎて、頭の中がワーーーー!っとなってたんです。
小さい子どもが興奮してはしゃいでるときってあるじゃないですか。
あんな感じです。
ぅわー!ここ日差しがきれい!あぁ、あの木漏れ日、たまんない!!あぁぁあ"あ"ぁあ、この風景!!!
(T^T)(T~T)(T^T)カンドーーー
毎分、毎秒が、↑こんな感じ。
見終わった後、というか、イタコになった後、どっと疲れました。
感動という感情の大波がざぶんざぶんと打ち寄せて、私は小船のようにきりきり舞いです。
しかし
私も感受性は鋭いほうだったはずです。
子どもの頃は、そうでした。
いつの頃からか、それを錆びさせてしまったんだなぁ、社会で生きるために、、、
そう思ったら、ちょっと寂しくなりました。
秋の日はつるべ落とし、
皆さん、良い週末を
では
運命の人
いきなりお花畑感満載のタイトルですが、
やっぱりね、どうやら運命の人っているみたいなのですよ。
私、英語を勉強してるうちに知り合ったアメリカ人の女性がいてですね、
日本が好き、kawaii文化が好き、アニメが好き、ついでにコスプレも好き、コツコツ独学で勉強しながら拙い日本語でポエム書いちゃうような
いわゆる内向的な女性。
どこをどう切り取っても、映画なんかで見る「恋に仕事にパーティに大忙し!」という私が想像してた一般的なアメリカの若い女性の要素はヒトカケラも持たない、
青い目をした彼女は、黒い瞳の日本人と結婚することをこっそり夢見ていました。
しかし周りに日本人どころか、日本LOVE☆なんていう友人のいない彼女は、アメリカ人の白人男性と結婚します。
私、二人の写真を見せてもらったんですが、この彼が見た目がまたすごくアメリカ人でして、いわゆるマッチョな感じ。
アメリカンフットボールの試合見ながら、でっかいハンバーガー食べて、バケツみたいなジョッキでビール飲んで、ついでに銃なんかもちゃんと持ってて、俺が女を守るぜ!的な?
あくまで見た目の印象ですけど。
カッコイイ男性でしたが、横で微笑んでる彼女がすごく小さく見えました。
結婚して生活も変わり忙しくなったのか、写真をもらった後、パタリと音信が途絶えまして、幸せにやってるんだろうなぁ、、、とたまに思い返してはいましたが、
ある日、彼女が日本人の男性のSNS友に会うことを知ります。
会う前は緊張したけど、会ってみたらすごく楽しかった、という話と一緒に、この日本人男性と彼女が二人でいるところの写真を後日見せてもらったんですが、驚くほど二人の空気感が同じだったんですね。
友人とか恋人とかそういうのを超越してるくらい、二人でいるのが自然に見えました。
あぁ、見つけたんだな。
そう思いました。
そこからまた更に音信普通の時は流れ、気づいたら、彼女は彼女自身で自分の身の振り方を決め、新しい生活を始めていました。

運命の人って本当にいるんだな、そう思いました。
そして見つけたと思ったら、真剣にその人に向き合うこと。
幸せになりたかったら、自分が動くこと。
ステキな秋の日曜日を
では
臨時原っぱ
会社の周辺が建築ラッシュだ。
あちらこちらで毎日のように、古い家がガがガガガがーッと壊されている。
古い家が多い地域だったから、まとめて数軒がつぶされている。
マンションになるようだ。
腰の曲がったお婆ちゃんや、ステテコ姿で歩くお爺ちゃん達はどこに行ったんだろう?
スキマ風で寒くて、傾いていて、でも住み慣れた家を手放したのは、誰の決断だったんだろう?
現代の建築基準法からはずれた古い家がみっちりあった場所が、原っぱになった。

古い家が多いということは、古いお庭も多いということ。
紫陽花の花がきれいなお宅、うっそうと木が茂るお宅、お気に入りの家がいくつかあった。
それが重機で次々にがちゃんがちゃんと壊されて、その後には、
ぺろーーーん、と広い空き地が出現して、寂しい気持ちになっていたけど、
「この木は残そう」と、根を残す判断をした人がいることが、とても嬉しかった。
新しいマンションのシンボルツリーになるんだろう。
この木は新しいお友達ができる。
お盆ですね。
2017年の夏を満喫しましょうね。
では