【啓蟄】二十四節気の第三。「啓」は開く、「蟄」は虫などが土中に隠れ閉じこもる意で、「啓蟄」で「冬篭りの虫が這い出る」という意をしめす。
虫も土の中から這い出てくるという啓蟄、私も陽の当たる場所へ出たいという気持ちが強くなります。
私は自分ではずっと、自分がしたいと思うことはする、というタイプだと思ってましたが、数年前から、違うな、と思い始めました。
ある程度の安全な枠、思いっきり小さいその枠の中でならする、というタイプだと気づいたのです。
習い事、旅行、自分の人生の本筋に関係の無い部分、大きくない金額でできること、その範囲でやりたいようにやってただけでした。
さらに、友人の影響、これがまた大きかったですね。迎合っていうと言いすぎですけど、なんか雰囲気に流されてやってた部分もあります。
ずっとそれで満足してたから、いいんですけどね。
でも、「あれ?なんか小さくないか?」と思い始めてしまったら、なんだかつまらなくなってきました。
本当に、それがしたいことなのか?
私が本当にしたいことは何なのか?
これ、考え始めたら、どんどん深いとこまでいっちゃう案件ですが、せっかくこの世に生まれてきたのなら、日々、「あー生きてるなー私」と感じたいし、死ぬときに「よくやった。あっぱれ私」と思って死にたい、それなら、真剣に考えなきゃならない、と思ってきたのです。
FacebookやInstagramなんかで見る、生き生きとした「輝いてる私」、ありのままで生きる「自分らしい私」的な、ほかのひとの人生に引きづられるんじゃなく、本当に、私自身がしたいと思ってること、そこに自分のリソースを投入していきたい、本当にそう思うのです。
しかし
「本当にしたいこと」なんて頭で考えていたって、なかなか見つかりません。
頭にいっぱいつまっている雑多な思考は、単なる経験からくる情報であって、感情ではないから。
考えていても答えが見つからないなら、動いてしまうしかないのかもしれない。
どこに行きたいのか、どこに行けるのか、分からないけど、とりあえず外に、土から外に、出ていこう。
話はそれからだ。
そう思う春の日でした。
では