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Uni-ya

~うに家~Drop at our house if you happen to come this way.

啓蟄

啓蟄二十四節気の第三。「啓」は開く、「蟄」は虫などが土中に隠れ閉じこもる意で、「啓蟄」で「冬篭りの虫が這い出る」という意をしめす。

啓蟄 - Wikipedia

 

虫も土の中から這い出てくるという啓蟄、私も陽の当たる場所へ出たいという気持ちが強くなります。

 

私は自分ではずっと、自分がしたいと思うことはする、というタイプだと思ってましたが、数年前から、違うな、と思い始めました。

ある程度の安全な枠、思いっきり小さいその枠の中でならする、というタイプだと気づいたのです。

習い事、旅行、自分の人生の本筋に関係の無い部分、大きくない金額でできること、その範囲でやりたいようにやってただけでした。

さらに、友人の影響、これがまた大きかったですね。迎合っていうと言いすぎですけど、なんか雰囲気に流されてやってた部分もあります。

ずっとそれで満足してたから、いいんですけどね。

でも、「あれ?なんか小さくないか?」と思い始めてしまったら、なんだかつまらなくなってきました。

 

本当に、それがしたいことなのか?

 

私が本当にしたいことは何なのか?

 

これ、考え始めたら、どんどん深いとこまでいっちゃう案件ですが、せっかくこの世に生まれてきたのなら、日々、「あー生きてるなー私」と感じたいし、死ぬときに「よくやった。あっぱれ私」と思って死にたい、それなら、真剣に考えなきゃならない、と思ってきたのです。

FacebookInstagramなんかで見る、生き生きとした「輝いてる私」、ありのままで生きる「自分らしい私」的な、ほかのひとの人生に引きづられるんじゃなく、本当に、私自身がしたいと思ってること、そこに自分のリソースを投入していきたい、本当にそう思うのです。

しかし

「本当にしたいこと」なんて頭で考えていたって、なかなか見つかりません。

頭にいっぱいつまっている雑多な思考は、単なる経験からくる情報であって、感情ではないから。

 

考えていても答えが見つからないなら、動いてしまうしかないのかもしれない。

 

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どこに行きたいのか、どこに行けるのか、分からないけど、とりあえず外に、土から外に、出ていこう。

話はそれからだ。

 

そう思う春の日でした。

では